13 草木養いの事
 挿花として草木を養うには、一年の季節を「真・行・草」と三つの区分に分け、養いの時候というものを知ることが肝要である。
 真の時候は旧暦五月夏至より旧暦八月彼岸までをいい、陽中陰の「太陽」の時節である。つまり陽の中に陰気を含んだ状態といえる。この時候は人畜に限らず、草木を始めとして生あるものは内に陰の気をもつために、損じ衰える事が多い。そのために、この時節に切った草木は熱湯でもって養うものである。
 行の時候は旧暦二月彼岸より旧暦五月夏至までの「少陽」、また旧暦八月彼岸より旧暦十一月冬至までの「少陰」をいう。この時候は陰陽の寒暖が等しく、すなわち陰陽和合の季節である。そのため、この時候に切った草木は炭火でもって養う。
 草の時候は旧暦十一月冬至より旧暦二月彼岸までをいい、陰中陽の「太陰」の時節である。つまり陰の中に陽気を含んだ状態といえる。この時候は、生あるものが内に陽気をもつために、衰えることは少ない。よって、この時候に切ったり折ったりした草木は、冷水や氷水でもって養うものである。
 なお、蓮・河骨を始めとして水草・藺物・浮草などは、「陰中陽」である「水」を主とするため、外に冷気(陰)をもち、そして内に暖気(陽)をもつ。よって、これら水を主とする草木は、冷気なるもので養うのである。
 草木養いにおいて大切なこととして、養いを施すときには、花葉に直接に水をうってはならない。花葉が表面に自ずと持つ水分のバランスを崩すことがあるため、かえって衰える結果になるからである。また、密室で蒸したり強い風にあてると水分の蒸発が盛んになり、草木の衰えが早くなるので行なってはいけない。
 さらに、挿花の席においては、「風の陰陽」というものをよく考えなければならない。「陰中陽」の「北風」は強く吹くときは陽気があたって害はないが、弱く吹くときは陰気があたって衰えることが多い。そして「陽」の「東風」は万物を養い、潤すことが多い。そしてまた「陽中陰」である「南風」は強く吹くときは陰気があたって衰えることが多いが、弱く吹くときは陽気のみがあたって養いとなる。最後に「陰」の「西風」は万物を害し乾かせることが多いものである。床花や会席へは「養いの風」となる風が入るのがよく、「害する風」が入ると草木の性気を衰えさせてしまう。以上の風の性質を理解しておくことも大切である。
 挿花を取り扱う時は、養うことを先ず第一のものと考え、挿けた花が自ずから性気を導き、葉は健やかに、そして花は麗しく心を豊かにするようにする必要がある。養うことがなければ、草木は潤色故老して、葉は乾き、花はしおれてしまう。また生きた花が衰えたにもかかわらず、水をうつような事があるが、いかに粧ったとしても、愁の色を隠すことは出来ない。このような花を見ても美を感じることはない。よって、このような行いをしてはならない。また床の花や茶室の風炉前の花に、直接水をそそぐようなこともあってはならない。
 このように挿花の麗しいのは、葉に水を拭きつけるのではなく、養いをするところにあるのである。「二陰一陽」である水と、「一陰二陽」である火を合わせると、あわせて「三陰三陽」となる。この水と火でもってして「三陰三陽」の養いをすることで、花は麗しくあり続けるのである。また手折り切った草木に限らず、庭の草木や鉢植え物などに至るまで、この「真行草」の時節に応じて、水と火の「三陰三陽」でもって養うときは、まだ性気のつきない草木であれば、性気たちまちに蘇えって元の姿に戻るものである。このような草木の養いも、天の教えに従った方法であるといえる。
 草木の花葉は夜陰に至れば花がしぼむもので、性気が衰えたようにも見えるものがある。特に、蓮・木槿・ひおうぎ・ささげ・金銭花などは花が凋みやすい。しかし天地自然の道理に従って水火寒暖の和合をもって養いを行えば、夜陰になっても花が凋むことはないだろう。
 すべて草木を養うには、四季寒暖の移り変わり、そして陰陽の両気が消長することで生じる気候の変化、さらに風雨霜水が時に害となり、時に恵みとなる自然界の道理を知ることが肝要であると述べてきた。生命の根元であって、万物の活力になるものを「気」という。この「気」というものは陰と陽の両気から成るものである。この両気の「陰」は水となり、いっぽう「陽」は火と変化する。そして火(太陽)と水(太陰)が交感しあって、土(中性)が生じるのである。土は動くことで木(少陽)を生じ、また逆に収まることで金(少陰)を宿す。そしてその結果、「木・火・土・金・水」という五行の要素が生じていく。
 この「木・火・土・金・水」の五元素はそれぞれ相生しあい(五行相生)、また一方で滅しあう(五行相剋)。木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生じる。これが五行相生である。一方で、木は土を克し、土は水を克し、水は火を克し、火は金を克し、金は木を克する。これを五行相剋という。
 この五行を更に陰陽という兄弟(えと)、死活の二元に分けると十干となることは前にも述べた。木の兄を甲(きのえ)、木の弟を乙(きのと)、火の兄を丙(ひのえ)、火の弟を丁(ひのと)土の兄を戊(つちのえ)、土の弟を己(つちのと)、金の兄を庚(かのえ)、金の弟を辛(かのと)水の兄を壬(みずのえ)、水の弟を癸(みずのと)という。甲は生きている木、乙は枯木、丙は燃える火、丁は炭火、戊は大地の土、己は土器、庚は地中にある鉱物、辛は精製された金属、壬は自然に流れる水、癸は汲み置いた水を意味する。
 草木を伐って「性気の通い」が途絶えてしまったとき、この草木は木の死を意味する乙(きのと)の状態となる。しかし、この草木に養いを施して、土にあった状態と同じように性気を取り戻したとき、この草木は木の活を意味する甲(きのえ)となるのである。詮ずるに、草木を甲(きのえ)の状態にすることが養いの目的なのである。
 なお草木の養いを知るにおいて、季節・時の巡りゆく姿を再度思い返していきたい。旧暦十一月(子の月)である「太陰」の頃、陰が極まって地中に陽を含んだ状態となる「一陽来復」の頃を冬至という。旧暦十二月(丑の月)にはこの陽が漸長し、旧暦一月(寅の月)には陽の位が定まり確かなものとなる。この三ヶ月の間は、陽気が地中に含まれた状態にあるといえる。この地中の陽が地上に現れるのは、旧暦二月(卯の月)である。この「少陽」の頃を春分という。旧暦三月(辰の月)には、表に現れた陽が段々と盛んになって、旧暦四月(巳の月)の頃には表裏に陽が長じた「陽中陽」の状態となる。また、旧暦五月(午の月)である「太陽」の頃、陽が極まって地中に陰を含んだ状態「一陰来復」の頃を夏至という。旧暦六月(未の月)にはこの陰が漸長し、旧暦七月(申の月)には陰の位が定まり確かなものとなる。この三ヶ月の間は、陰気が地中に含まれた状態にあるといえる。この地中の陰が地上に現れるのは、旧暦八月(酉の月)である。この「少陰」の頃を秋分という。旧暦九月(戌の月)には表に現れた陰が段々と盛んになって、旧暦十月(亥の月)の頃には表裏に陰が長じた「陰中陰」の状態となる。以上のように、子の月から午の月までが「陽の一回り」、そして午の月より子の月までが「陰の一回り」となり、このように陰陽が消長して一年となるのである。
 また一日も月と同様である。午前十二時(子の刻)太陰の時は、陰が極まって陽を含んだ状態の「一陽来復」の時刻である。午前二時(丑の刻)にはこの陽が漸長し、午前四時(寅の刻)には陽の位が定まり確かなものとなる。この陽が表に現れるのは、午前六時(卯の刻)少陽の時刻である。午前八時(辰の刻)には陽が段々と盛んになって、午前十時(巳の刻)には陽が長じた「陽中陽」の状態となる。また午後十二時(午の刻)太陽の頃、陽が極まって陰を含んだ状態の「一陰来復」の時刻となる。午後二時(未の刻)にはこの陰が漸長し、午後四時(申の刻)には陰の位が定まり確かなものとなる。この陰が表に現れるのは、午後六時(酉の刻)少陰の時刻である。午後八時(戌の刻)には陰が段々と盛んになって、午後十時(亥の刻)には陰が長じた陰中陰の状態となる。
 このように、十二の月・十二の刻は六つで一回りし、七つ目でもって陰陽が変化する。葉蘭の葉組みで七枚目の葉を境として界葉を挿けるのは、陰陽の変わり目にあたるからである。人間も生まれてより六年が経ち、七歳で初厄を迎える。これより十三歳で二の厄、十九歳で三の厄、二十五歳で四の厄、三十一歳で五の厄、三十七歳で六の厄、四十三歳で七の厄を迎える。厄が一回りして七つ目の厄を迎えた四十三歳は大厄である。よって前年の四十二歳の時に、神仏を祭り厄難がないように祈るのである。四十九歳は八の厄、五十五歳は九の厄、六十一歳は十の厄となる。この十の厄を迎えて、十干・十二支の生まれた年の干支に戻るので、全ての厄が終わることになる。これを本卦帰り・還暦という。このように一回りする厄年に神仏を祭って無難を祈るのは、自分自身の養いであるといえる。
 還暦より後には厄はなく、以後は寿の祝いがある。六十一歳は「華寿」を祝う。これは「華」の字を分解すれば、六つの十と一とで構成されることからこの名がある。七十歳は「古稀」を祝う。「人生七十古来稀」という杜甫の曲江詩より起こったものである。また七十歳は「杖の賀」といい、鳩のついた杖を送る慣わしなどもある。七十七歳は「喜寿」を祝う。「喜」の字の草体の文字が「七十七」と読まれるところからくるものである。また八十八歳は「米寿」を祝う。「米」の字を分解すれば「八十八」になることから、そう呼ばれている。九十九歳は「白寿」を祝う。これは百歳を前にして祝福するもので、「百」という字から一という字をとれば「白」という字となることからきている。このように草木だけでなく、人においても養いの時候というものを知り、そしてそれに応じた養いが必要であるといえる。
 また以下に、風・霜・雨・水の性質を知り、草木の養いの参考としたい。
 ◎風は草木に影響を与えるものである。
 冬至より春分までは、性質として捉えると「北風」である。この「北風」が強いときは草木万物を養うが、一方で弱いときはこれを害するという。北は「陰中陽」の方角であるため、強く吹くときは裏にある陽が働くので養いとなるが、弱く吹くときは表にある陰のみが働くので害となるのである。
 春分より夏至までは、その性質として捉えると「東風」である。「東風」は草木万物に潤いをもたらし養いとなる。東は「陽中陽」の方角であり、常に陽の影響を受けるからである。   
 夏至より秋分までは、その性質が「南風」である。この「南風」が強いときは草木万物を害するが、一方で強いときはこれを養う。南は「陽中陰」の方角であるため、強く吹くときは裏にある陰が働くので害となるが、弱く吹くときは表にある陽のみが働くので養いとなるのである。
 秋分より冬至までは、その性質として捉えると「西風」である。「西風」は草木万物には害となる。西は「陰中陰」の方角であり、常に陰の影響を受けるからである。
 挿花の席に毒となる風が吹き入るときは、山の実・山椒などを焚いて、その気を花にあてて毒気を払うことがある。
 ◎霜も同様に草木に影響を与えるものである。
 冬至より春分までの「霜」は「極陰」であり、草木の毒となる。そして、春分より夏至までは「水霜」となり、毒にも薬ともならない。ただし若芽などには毒となることがあるので注意が必要である。また、夏至より秋分までは「露」と変じて「極陽」のもととなり、よって草木万物を潤い養うこととなる。そしてまた、秋分より冬至までは、再び「水霜」となって、毒にも薬ともならない。
 ◎雨は四季通じて降り、草木万物に潤いを与えるが、風の状況によっては養いとはならないことがある。
 陰中陽である「強い北風」、陽中陰である「弱い南風」のときに降る雨は養いとなり、陽中陽である「東風」のときに降る雨は大いに養いとなる。これは、北風が強いときは陰中陽の内にある陽気が雨に作用し、また南風が弱いときは陽中陽の表にある陽気が雨に作用する、そしてまた陽中陽の東風は常に陽気が雨に作用することに因るものである。
 一方で、「強い南風」「弱い北風」のときに降る雨は養いとならず、「西風」のときに降る雨は大いに害となる。これは、南風が強いときは陽中陰の内にある陰気が雨に作用し、また北風が弱いときは陰中陽の表にある陰気が雨に作用する、そしてまた陰中陰の東風は常に陰気が雨に作用することに因るものである。
 ◎水の用い方には四季の違いがある。
 冬至より春分までは、「流水」を使いるとよい。またこのとき「井戸の水」を使うときは、汲み置いて一夜冷やして用いるものとする。この頃は極陰である「陰中陽」の時候であり、動く水「流水」は動くことで内にある陽気が表に出るが、一方で動かざる水「井戸の水」は、底にある陽気を含んだ水を用いることが出来ないので、一夜汲み置いてから底に生じた陽気を含んだ水を用いるのである。
 春分より夏至まで、また秋分より冬至までは、「流水」「井戸の水」ともにそのまま用いてよい。
 夏至より秋分までは、「井戸の水」をそのまま用いるのがよい。このとき「流水」を使うときは、汲み置いて冷ました後に用いる。この頃は極陽である「陽中陰」の時候であり、動かざる水「井戸の水」には陰気は底にたまって陽気のみ用いることができるが、一方で動く水「流水」は内に陰気が生じているために、いったん動かない水にしてから用いるのである。
 以上、水の用い方について述べたが、これは草木に限らず、全ての作物や、また煎じて飲む薬に用いるときも、同様に扱えばよいものといえる。また以下に草木それぞれの出生に基づいて、その養いとなるところに関して述べていきたい。
 a 四季陸物草木養い
 薬を用いなければ養いのできないような、水あがりの悪い花は以下の通りである。その中でも、「真の養い」をすべきものと、また「行の養い」をすべきものがある。ちなみに「真の養い」は熱湯でもって養い、「行の養い」は炭火でもって養い、また「草の養い」は冷水でもって養うものである。
 (真の養いを施すもの) 桜・藤・コデマリ・ケイトウ・ケマンソウ・牡丹・タンポポ・天南星・桜草・風車・草下野・額草・テッセン・大山蓮・縞芒・夏萩・薊・檀特花・紫陽花・木槿・縮沙・夏菊・熊鷹蘭・芭蕉・トウゴマ・夏藤・オオバコ・トウタデ・ウコンショウ・岩藤・芙蓉・佛桑花・アサガオ・水引草・秋海棠・午時花・ツワブキ時鳥草・秋牡丹・美人蕉・紅葉・ハゲイトウ・照葉類一切
 (行の養いを施すもの) 折楊木・芍薬・時計草・下野・桔梗・ウイキョウ・蔓荊子・黄金花・唐紫苑
 また朝顔養いの事として以下に述べたい。朝顔は、午前四時(寅の刻)より午前六時(卯の刻)の間に花が開き、午前十時(巳の刻)より午後十二時(午の刻)の間に花は凋んでしまう。昼に愛でる挿花としては、夜陰に開花の姿を見せるというのは、天地自然の本性ではない。しかし、女童のこころを慰めるのに用いたりする場合、その拙い技としては以下の通りである。明日に挿けようと思うときは、明日開くであろう莟を持った蔓を先ず切り置いておく。そして午後十二時(午の刻)にこれを伐って、細竹にくくりつけ、熱湯でもって真の養いを施す。また、この明日開くであろう莟に、今日凋んでしまった花の先を鞘にかぶせて根ごと井戸水につけて置く。このとき花葉に水を少しでもかけてはならない。翌日はいつでも来客の前に出して花瓶に移し、かぶせてあった鞘を取れば、やがて開くものである。また花が開いてから養う場合は、薬法として三盆(白砂糖)を少し盃に入れ、上々笹(清酒)で薄く溶き、そして火にかけて温めた後に冷やし置き、朝顔の花が開いたときに直接三しづく程つけてやる。そうすれば翌朝までもつものである。この薬法は鉢植えなど、根をもつものにも効果がある。しかし、天地自然の法に違うことを安易にするべきではないことは言うまでもない。
 b 庭中並びに鉢植え草木養い
 庭や鉢植えの草木が性気を失ったときは、草木に応じて程よくアツン(灸)をすえてやる。内に陽を含む冬至より春分までは、暖気ある日の真昼に養いを施すのがいい。春分より夏至まで、秋分より冬至までは陰陽和合の季節であるので、何時に施してもよい。また内に陰を含む夏至より秋分までは、早朝の涼しい間に養いを施すのがよい。一回りである七日(一週間)の間に、ひとつの箇所に三度ほど灸をすえてやる。
 この養いは、草木に限らず人間も同様であるといえる。草木も人も天地にある万物いっさいのものは「素よりの本性」というものを持ち、宇宙一元のものから生じたものであることに因る。陰陽の釣り合いがとれ和合の状態にある、無病の人の養生として灸をすえる時節としては、陰陽和合の時候である春分より夏至まで、また秋分より冬至までがよい。夏や冬に無病の人に灸を施したとしても、養いとなることはない。これは、陽の気を強くもつ夏至に施すと体の陽気が多くなり、いっぽう陰の気を強くもつ冬至に施すと体の陰気が多くなり、そのため体中の陰陽のバランスが偏ってしまうからである。ただし病人であれば、四季のいつにかかわらず施しても養いとなる。病は「陰」であり、四季それぞれの「陽気」をうまく引き出して養うのである。
 c 梅花年中囲方
 梅の囲い(養い)としては、先ず青梅をわさびおろしでおろして種をとり、北味(五方の鹹味しおからい)を作る。それを壷に詰め置き、目張りの蓋をする。そして梅の花が半開になった頃に枝を切り、さきほどの薬の中に、枝先から根元まで詰めて蓋をしておく。入り用の時にこれを薬より出して、しばらく水につけておいてから、挿花として用いるものである。小枝は梅干の壷の中にいれておけば養いとなるが、白梅には色が移るので用いることはできない。 d 竹真行草養い
 竹の「草の養い」として、先ず上花(茶のこと)を濃く煎じて冷やしておく。そして竹を伐り、上より節を抜き、この薬を詰めて挿けるのである。挿花として日数置くときは三日目ごとに、この薬を加えればよい。
 「行の養い」としては、竹の根元に灸をすえ、火の中にいれ根元を焼きとる。その間に、草の養いで行なった薬をつけるとよい。その後に、井戸の中や川の水などの冷水に深く漬け、三時(六時間)ほどよく養う。なお、変色した根元は伐ってから挿けるものである。
 「真の養い」としては、灸を入れた水を熱湯にして伐った竹の根元を中に入れて養い、その後に冷水に深く漬けて三時(六時間)ほどよく養う。最初の水には北味(五方の鹹味しおからい)を加えてもよい。二つ割りの竹垂撥を養うときには先に割って切っておく。この真行草いずれの養いにおいても、養う前には必要のない小枝は切っておくことが大切である。
 e 竹青葉附き自在にて船釜釣り養い
 山椒などの山の実をすって、水で混ぜあわせ、気を出すために置いておく。そして竹を伐り、自由に程よく「活の数」をもって丈を定める。数字には一から百八まで死活がある。「活の数」とは(一・二・三・五・六・七・八・九・十・十二・十五・十六・十八・二十・二十四・二十八・三十・三十六・四十八・五十・六十・六十四・七十七・八十・九十・九十六・百・百八)の二十八ヶある数字であり、また「死の数」は活の数字以外の八十ヶある数字のことである。
 この伐った竹の節を上から抜いて、下一節のみを残し、そして先ほどの薬を込めるのである。挿けた後にも、毎日この薬を加える。下に釜を釣って「火の気」の上においてやると、竹の葉が青々と数日もったりすることもあるので参考にしたい。
 寸法としては、三通りのものが伝書に挙げられている。先ず、丈三尺六寸のものであるが、これは地の数である九に、四季の四を掛けたもので寸法をとったもので、割竹でなく円竹で用いてもよいとされている。次に、丈四尺八寸のものは、一年二十四節に二を掛けたもので寸法をとり、釣舟を掛けた自在である。また、丈二尺八寸のものは、天の星の座である二十八宿星より寸法をとったものである。陰陽の日月と木火土金水の五星をあわせた七星は、東西南北それぞれにあり全部で二十八宿星となる。
 f 竹青葉附き花器に伐る養い
 青葉附きの竹花器を作るにあたって、このときの養いとしては「真の養い」をする。先ず、灸を入れた水を熱湯にしておく。そして割り切った竹花器に必要な枝葉だけを残して、根元をこの中に入れて養う。その後に冷水に深く漬けて一夜置き、翌朝に花器として切る。最初の水には北味(五方の鹹味しおからい)を加えてもよい。そして後に、山椒など山の実をすったものを薬として、切った箇所に直接すりこむ。このとき竹の性気を抜かないようにすることが大切である。この青葉附き竹花器に蒔絵を合わすこともある。
 寸法としては、先ず寸渡は、丈八寸位までに定める。この丈の八は、地の八象である乾坤坎離艮兌巽震をあらわすものである。そして手杵は、丈一尺二寸位に、口二寸四分位に定める。これは、一年十二季・二十四節をあらわす。また獅子口は、丈八寸位に、口一寸八分位に定めるものである。
 g 竹即挿け養い
 先ず竹を伐って、挿けるのに程よく寸法を定めておき、また竹の節は抜き通しておく。そして上の切り口にスウ此薬を塗るのである。このスウ此薬とは酢などの酸性のものであり、切り口より一気に吸い上げる性質をもつものである。
 h 河骨真行草養い
 先ず「草の養い」としては、井戸より汲みたてた冷水を切り口よりポンプなどで注入する。このとき葉脈がつぶれないように、程よく冷水を注入することが大切である。次に「行の養い」として、上花(茶のこと)を一合、山実(山椒)を二勺、このふたつを水十合に入れて後に、九合まで煎じて程よく三時(六時間)ほど冷ましておく。最後に、これを切り口よりポンプなどで注入する養いである。また「真の養い」としては、上花(茶のこと)のみを濃く煎じて、人肌よりも少し熱いくらいのものを切り口より注入する。
 空挿け(奉書挿け)といって、花台の上に紙を敷いて挿ける挿け方がある。このときの養いとしては、ヌルデの若芽・若葉などに生じた瘤状の虫である五倍子(ふし)を、布に包んで熱湯で煎じてより、これを切り口よりポンプなどで注入する。
 i 蓮真行草養い
 蓮の「草の養い」は、河骨の「行の養い」と同様に行う。また蓮の「行の養い」は、河骨の「真の養い」と同じ方法で行なう。そして蓮の「真の養い」としては、水十合に上北味(塩)を一合だけ加えて熱湯にわかし、この中に蓮の根元を三寸ほど入れておく。その後、蓮の軸が煮て固まってから熱湯より取り出して、さらに冷水へ一時(二時間)ほど深く漬けておく。そして、この根が固まったところを一寸ほど残しておいてから挿けるものである。また空挿け(奉書挿け)として挿けるときは、河骨の時に述べた養いと同法で行うものとする。
 j 蓮即挿け養い
 先ず、上赤実(唐辛子・鷹の爪)を十個ほど竹筒に入れ、さらにその中に熱湯を三合ほど入れておく。そしてこの気が抜けないうちに、蓮を伐って、その根をこの薬に漬けて養うものである。それより、この薬がなまぬるくなるまで漬けておく。最後に、根の色が変わったところを少し残してから蓮を挿ける。よって、蓮を最初に伐るときには体・用・留ともに、蓮の寸法をしっかりと定めておかなければならない。
 また、芦・嶋蒲・三ツ柏・水芭蕉・水葵・クワエ・オモダカ・猿猴草などの、水あがりの悪い水草にも、この手法で養いを施せばよい。
 k 雨中の景色柳養い
 「雨中の柳」は獅子口、舟、竹や金物の器に挿けるものである。獅子口を使うときには垂撥に掛けて、指尺六〜七尺程度上にとめて用いる。
 先ず、肉となるところの柳の枝を「用」として挿け、この枝より垂れ下がるところ曲なく挿ける。そして、これに添えの枝を挿けていく。次に、皮となるところの枝を「体」として挿ける。この枝の先は日に枯れたものを用いて、渦のように巻き上げるように風雅に挿ける。雨の中の柳の景色を移しとる挿け方であるので、鬱鬱(うつうつ)とした様が感じ取れるようにする。枝先に強く勢いのある枝はよくない。そしてまた、細い枝が大きく垂れたものも風流がない。肉が多くたわやかな柳が雨中の様を現してこそ風流がある。
 この「雨中の柳」の水揚げとして、数多くの柳の芽を全て起こしてあげ、また芽のない枝先は手で切って、一夜置いて陰に通わしておく。このようにしてから挿けるときは、水が程なく上がり、数多くの枝先や芽の間より雨の降るが如く水が落ち、そして時雨の柳の様をかもしだす。
 この露が落ちる露受けとしては薄広口を用い、そこに天地人三才の石を飾り置く。このとき天の石に水仙二本、人の石に水仙一本・寒菊・根元に蕗(ふき)の莟をあしらう。また初春は、福寿草を天石に二本、人石に一本、あるいは天石に三本、人石に二本と使って挿ける。この「雨中の柳」は、全陰(陰中陰)である旧暦十月(亥の月)を過ぎて、一陽来復が起きて後、ちょうど旧暦十二月(丑の月)旧暦一月(寅の月)の頃に挿けるものである。
 またこのときの養いとしては、「潮の満干」も考えねばならない。草木は潮が満ちるときに切れば勢いがいいが、いっぽう潮が干くときに切ると勢いが悪いものである。よって柳を切るときは、陰が表に現れる午後六時(酉の刻)のころ、つまり「少陰」の時刻がよい。なお、節のある類のものは、正午に伐るのがよい。正午は陰陽の変わり目となり、節がゆるむからである。
 この「潮の満干」は海面のことだけでなく、地にある全てのものに影響を与えるものである。人を初めとして、木石鳥獣虫魚に至るまですべてのものの内には満干がある。出産は満るときであり、また命の尽きるは干くときである。山上の池にも潮の満干があり、大石に穴があって絶えず水が満干する。
 このように、万物に影響を与える天地自然の陰陽寒暖の法則に従い、草木に養いを施すことが大切なことである。養いを施して挿けても、性気が衰えれば死物に等しく、よってそのような花を神仏に供じ、又もてなしとしても用いることはできない。麗しい花葉を見れば自らのこころを養うが、萎れた花葉を見れば自らのこころに憂いをもつ。よって草木に養いを施すということは、挿花にとって根幹を成す大切な行為であるといえる。