7 挿花全体の指南
万物かたちあるものは全て、表裏・陰陽を備えているものである。よって表裏が尽きることなく変化する三角形の鱗形をもって未生挿花のかたちとすることは前に述べた。この三角形の鱗型には、陽性である立姿(半立姿)、そして陰性である横姿(半横姿)があり、花の形態によって鱗型も変化する。
花を挿ける寸法としては、花器の下から体の先端までを三つ割りにして、下から一分を花器に、そして残り二分を花の寸法とする。これを「体割りの法」という。たとえば人体(頭を考慮にいれず)においては、膝で折れ、腰で折れて三段となる。膝より下までを花器の寸法とし、また残り二分を花の寸法とするのである。実際は器の高さの二倍半と、少し高くして挿ける。この少し高くするところは「半空」である。「半空」というものは人それぞれにおいて違いがあるもので、さらにそのときの情況によっても様々に変化するものである。
また、馬たらいや広口・水盤に挿ける場合も、この「体割の法」に準じて寸法を割り出す。この場合は花器の奥行き(さし渡し)を一分とし、花の寸法を二分とするのである。よって花全体では、奥行き(さし渡し)の三倍となる。この原則に添えない場合は、木物で谷間をとり(谷間分け)、また草花で株を分け(株分け)、さらに水草は魚道をあけて(魚道分け)二株・三株・五株と株を増やして挿ける。このようにして、二分の寸法である「二たけの性気」を通わせるのである。また、三角形の鱗に収まらず風雅のある曲のある枝葉は、臨機応変につかって挿けるものとする。ただし曲は、一瓶の中に一箇所に限って使うものとする。この曲を以って、餘性(よせい)を現すのである。餘性とは万物の真理である未生の本質が溢れ出たものである。
次に花の本数として、二本の花の挿け方は、一本で体用を兼ねて挿け、これに添わせて留を挿ける。三本は大中小の枝を見立てて、体・用・留の三才に挿ける。五本は体に二本・用に二本・留に一本、また七本は体に二本・用に三本・留に二本、さらに九本は体に三本・用に三本・留に三本と挿ける。
なお、挿花において季節を守ることは未生自然の本意であるといえる。季節に遅れた花は、自分で楽しむぶんには構わないが、客へのもてなしにならず、いわば残り物を客に給するようなものである。草木は非情といっても、季節寒暖に応じて変化し四方の気色を整える。この変化を捉えて花を挿けることが肝要なのである。一方、季節に先んじて早く咲いた花は、次の季節を待つ趣のある花なので、客のもてなしに使ってもよいとされている。床に季節感のない掛物を掛けた場合などには、その時候に応じた花で季節感を現すことが大切である。
季節は陰陽寒暖の変化をもって移り変わるが、挿花においては、この季節の移り変わりを強く感じることが非常に大切である。旧暦の十一月(子の月)は、「陰」が極まって「陽の兆し」を含んだ状態の冬至である。この「陽の兆し」が次第に長じていく七つ目の月である五月(午の月)は、「陽」が極まって「陰の兆し」を含んだ状態の夏至である。このように季節は「陰陽消長」して、一年十二ヶ月二十四節を構成する。さらに、夜の子の刻に一陽が生じ、そして昼の午の刻に一陰が生じるが、一日も一年と同様に「陰陽消長」して、十二支二十四節を成すものである。
十月になって、桃・桜を初めとして諸木が再び花咲くことがある。これは「陰」の気が盛んな時節にあるものの、「陽」の気が地中に照りこんで、その陽気が空に登って秋の長閑をかもしだすからである。これを「小春」という。この「小春」という、寒暖の惑いのために再び花葉が生じることがあっても、実を保つことはなく、また葉の栄えることはない。この「かえり花」「かえり咲きの花」は、四季に違うものであるので、客へのもてなしに使ってはならない。
さらに、挿花水次方の事として、花を挿けて瓶に水を入れるにおいては、「五行の死活」というものを理解しておかなければならない。五行の死活とは「甲乙丙丁戌己庚辛壬癸」の十干のことである。「木火土金水」で現される五行は、それぞれ陰と陽の二面をもちあわせ、合計で十干となる。干支とは、この十干(甲乙丙丁戌己庚辛壬癸)と十二支(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)の組み合わせのことである。なお十干は「天」であり、そして十二支が「地」と考えてよかろう。以下に、「五行の死活」である十干について述べる。
◎木の陽(兄)である甲(きのえ)は、大地に生じる動く木(活の木)である。いっぽう木の陰(弟)である乙(きのと)は、家屋敷部屋等の細工された動かない木(死の木)である。
◎火の陽(兄)である丙(ひのえ)は、性よく燃えて動く火(活の火)である。いっぽう火の陰(弟)である丁(ひのと)は、燃え去って動かない火(死の火)である。
◎土の陽(兄)である戊(つちのえ)は、大地山をはじめとする動く土(活の土)である。いっぽう土の陰(弟)である己(つちのと)は、土器を始めとして細工された動かない土(死の土)である。
◎金の陽(兄)である庚(かのえ)は、大地の土中に生じて動く金(活の金)である。いっぽう金の陰(弟)である辛(かのと)は金物の類となった動かない金(死の金)である。
◎水の陽(兄)である壬(みずのえ)は、瀧の流れ・谷の流れ・川水・井戸水など動く水(活の水)である。いっぽう水の陰(弟)である癸(みずのと)は、器に汲み置いて動かない水(死の水)である。
以上「五行の死活」のなかで、水の陰陽である「壬」と「癸」のことを知らなければ、挿花に水を注ぐ事はできない。花を挿け、そして瓶中に六〜七分だけ注いだ水は、動かない癸の水(死の水)であるといえる。しかし花を挿けた後に、四季寒暖の和合をもって足し水を行った瓶中の水は、動く壬の水(活の水)となるのである。花器に水を足すにおいて、四季寒暖和合に従うとは以下の通りである。
春・秋は寒暖が等しく和合の季節であるので、花器への足し水は九分に注ぐ。そして夏は潤いが充満する季節であるので、足し水は十分に注ぐ。ただし暑中は、花器からこぼれるほど十一分に注ぐものとする。また冬は潤いが足らないので、足し水は八分にひかえて注ぐ。ただし寒中は冷気が甚だしいので、七分をもって水を注ぐ。このように水の死活の様相を捉えて、また四季寒暖の和合をもって足し水を行わなければ挿花とはいえない。