3  桜散り景色 挿け方
 花器は台付きの広口を使い、三才または陰陽二石の飾り石をする。先ず天石には風雅な姿の古木を使い、葉付の風情のあるものをこれに添わせて挿ける。これは桜の散る姿を表現するものであるので、葉は余り多くつけることなく閑静な様になる程度につけておく。また自然の実の姿にして、さほど法格にこだわることなく、雅味のあるように挿ける。そして、古木より若枝を添わして古木扱いをして挿けていく。ここで古木と若枝を使うのは、万物が生々流転し変化し続ける時間の流れを捉えたものである。
 次に、地石には若枝を横姿にして、正しく法格を守って、虚の姿として挿ける。これは、谷に咲く桜の景色を現したものであり、よって莟と開花を取り混ぜて挿け、咲き始めの桜の景色を表現する。
 既に花が散っている姿を現す天石に挿ける桜に対して、日当たりが悪いためにようやく花がちらちらと咲き始めた谷間に咲く景色を現した地石に挿ける桜、この対極に見てとれる桜を相対的に扱って挿けるものである。実の扱いをする天石の花と、虚の扱いをする地石の花を広口のもとに移しとる、すなわち虚実等分・体用の挿け方である。
 無形無限を現す天円は万物の本質(体)であり、有形有限を現す地方は万物の現象(用)を成すところのものである。天石に挿ける大きい主株の立姿は、法格を正しく守ることに固執することなく、よって「実」であり「体」である。また一方で地石に挿ける小株の横姿は、法格を正しく守り、よって「虚」であり「用」である。二にして一、また一にして二の関係を持つ、体用相応した体と用は不二一体のものであるといえる。この桜散る景色は、紅葉真俊の挿け方と同様に、無限の本質と有限の現象を現す「体用の挿け方」であるといえる。自然の時間的流れのままに花を散らす桜の「性」と閑静な「情」でもって表現し、この性情の両気を備えた体用相応した姿で挿けるものである。
 また瓶中・瓶外に桜の花を程よく散らして使い、桜散る景色を風情よく移しとる。