3d 婚礼の花
 高位高官の御方の婚礼の際には、注連の伝の「松竹梅」を挿ける。また一般的な婚礼の際には、松と竹を二瓶にして挿けるものとされている。このとき、床には掛け物を掛けず、ただ空座にして、中央に神酒を木地の三方に載せて供する。そして神酒の左右に、明り口のほうには男蝶の銚子を、床柱のほうには女蝶の銚子を、それぞれ木地の三方に載せて飾り置く。新郎と新婦が婚礼に出る前に、男蝶女蝶の銚子の酒を三献づつ神に献じるのである。
 正月元旦の花は注連の伝の若松を挿け、二日は注連の伝の伐竹を挿け、そして三日は注連の伝の梅を挿ける。正月と婚礼は両者ともに、物事の初めとして大切な節目であり、婚礼のときも正月と同様の考えでもって花を挿けるものである。「松竹梅」をひとつの器に挿けるということは、三則一に帰することを現し、これは天円地方和合の姿であるといえる。すなわち「松竹梅」という天地人「三才」の現象を、一なる本質に帰せしめるものである。
 松は千年の緑を尊ぶもので、竹は万木千草に勝れて成長が早く、梅は他の花に先駆けて咲く。昔、中国の晋の武帝が、学問に親しんだ時には梅の花が咲き、学問を止めると咲かなかったという故事から、梅には好文木という名がつけられ、「三元の冠花」とし花中の君子として尊ばれた。中国では、松・竹・梅を「歳寒三友」、これに蘭を加えて「歳寒四友」、また松・竹・梅・菊に石を取り合わせて清いものの総称「五清」とした。
 この松竹梅は、陽の司(松)と、陰の司(竹)と、そして三元の冠花(梅)の三つを一瓶のもとに挿け、目出度い最上のものである。よって元旦・婚礼ただし高位高官に関してのときのみ挿けるものとし、軽々しく挿けてはならないとされている。
 高位高官の御方の婚礼の際の「松竹梅」の挿け方として、薄端または広口を使い、先ず中央に伐竹二本を挿ける。このとき、長い陽の竹には、三節二枝を備えて体と用の枝をとり、竹の先を大斜に伐る。一方、短い陰の竹には、二節一枝を備えて留の枝をとり、竹の先を平に伐る。このとき竹の大斜の切り口が、平の切り口と向き合うように調和して挿ける。ただし竹の節間が短いとき、陽の竹は三節二枝にこだわらず、陽数(奇数)の節と陰数(偶数)の枝とし、また陰の竹は二節一枝にこだわらず陰数(偶数)の節・陽数(奇数)の枝としてもよい。長い竹は「陽中陰」、また短い竹は「陰中陽」である。この中に腹籠の存在をみてとることができる。つまり、陽の中から陰が生じ、そして陰の中から陽が生じる。父親(陽)が強ければ女子(陰)が生じ、いっぽう母親(陰)が強ければ男子(陽)が生じるという。これは「陽中陰」・「陰中陽」の考え方に因るものである。
 竹の葉の成長の状態で、葉先が二葉開いた状態のものが「魚尾」、その中葉が伸びて未だ開いていない状態が「飛雁」、その中葉が開いて三葉となった状態が「金魚尾」である。体にはこの三通りの葉があってよく、陽気を受ける用は成長した「金魚尾」を多く使い、留はその逆に「魚尾」を多く備えるものとする。
 そして明かり口のほうに注連の伝の松を挿け、床柱のほうに注連の伝の梅を挿ける。竹を立姿に、松を半立姿に、梅を横姿にして、一瓶のもとに挿ける「松竹梅」の姿は方形体であるといえる。
 最後に、足下には水引七本を相生結びとし、金は松のほうに、銀は梅のほうに出して使う。陽を尊ぶ慶事の時の水引のかけ方として、向かって右(陽)には水引の金・紅が、そして向かって左(陰)には水引の銀・白がくるようにする。挿け花の時の水引としては、「用金」といい、花の姿の用の下に金がくるように水引をかけることとされている。参考として、陰を尊ぶ凶事・仏時の時の水引としては、向かって右(陽)には水引の黒が、そして向かって左(陰)には水引の白がくるようにする。以上が、高位高官の御方の婚礼の際の「松竹梅」の挿け方である。
 また、新婦が神聖な白無垢の姿で婚礼の盃事を終えたのち、色物の着物に着がえる「色直しの席」には、陽気なる目出度い花を十分に派手に挿けるものである。このとき垂れ物、弱き物、名の悪いもの、赤色の物を挿けてはならない。
 次に、一般的な婚礼の際には、松と竹を二瓶にして、それぞれ対にして挿けるものである。明り口のほうには松を挿けて、陽を司る高御産巣日神(たかみむすびのかみ)と、陽の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祭る。また床柱のほうには竹を挿けて、陰を司る神御産巣日神(かみむずびのかみ)と陰の伊弉冊尊(いざなみのみこと)を祭る。このときの花器としては、八神を現す八角の銅製のものを用い、花台は木地の真のものを使う。そして、松と竹ともに水引七本を相生結びにして、花の姿の用の下に金がくるように水引をかける。全て生あるものは、陰陽という二神によって、生じたものであるということを改めて感じることが大切である。
 婚礼は子孫繁栄の基となる大事なものである。このときに改めて、人というものが生じた万始の古に遡り、古きに想いを馳せて考えるべきであろう。
 古の頃は自然の気が混沌としていて、天と地というものが未だ分かれず、鶏卵の中身のように固まっておらず、ただぼんやりと何かの芽生えを含む「未生」の状態であった。やがてその中で澄んで明らかなものは、昇りたなびいて天となり、また濁ったものは、重く沈み滞って大地となった。そして、この天地の中に一物が生じて、形は芦の如く、神と化身したといわれている。
 この天と地が未だ分かれていない古の頃、高天原には天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という宇宙創造「太極」の神が存在していた。そして後に、陽を司る高御産巣日神(たかみむずびのかみ)と、陰を司る神御産巣日神(かみむすびのかみ)という「両儀」の二神が生じて、始めて天地という陰陽が開いたものである。この「太極」と「両儀」という三柱である三神は、それぞれ独立したものとして「造化三神」と呼ばれている。この陽を司る高御産巣日神と、陰を司る神御産巣日神は陰陽和合して、その後に数多くの神が生じていく。
 この天と地が生成された頃、下界は一面、原始の海に大地はその上を浮遊する雲や魚のような状態であった。その中で、天と地の狭間に葦の芽が生え、そして宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)が生じる。この神は混沌の中からアシカビ(生命)として生まれたことを意味している。また、天之常立神(あめのとこたちのかみ)が、この宇麻志阿斯訶備比古遅神と対になって生じ、混沌の中からトコ(土)として生まれたことを現す。つまり神々や人間など、いわゆる生あるものは「泥中の葦の芽」から生まれたということができる。以上の五柱の神は、別天津神(ことあまつかみ)とし、創造神とされている。
 続いて、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、豊雲野神(とよくもののかみ)が生じる。また二神で一代の対偶神として、宇比地邇神(ういじにのかみ)・須比智邇神(すいじにのかみ)、角杙神(つのぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)、意富斗能地神(おおとのじのかみ)・大斗乃弁神(おおとのべのかみ)、於母陀流神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美命神(いざなみのかみ)の神々が生まれ、ここまでの神々のことを神世七代と言う。
 神世七代の最後の一対の神である伊邪那岐神と伊邪那美神は夫婦神で、陽の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と、陰の伊弉冊尊(いざなみのみこと)は、天浮橋に立ち、天の沼矛を降ろして混沌なるものをかき混ぜた。すると、矛の先から滴る潮から、淤能碁呂島(おのころじま)ができた。二人はその島に天下って天御柱を建て、その天之御柱を中心にして、陽の伊弉諾尊が左旋し、陰の伊弉冊尊が右旋して、互いに合生じあうことで国が産まれたという。このように陰陽という両極なるものが作用することによって、万物が生じていったのである。そしてより、本州、四国、九州など八つの島々を生み、国生みを終えた後は、さらに風、水、海、山、草など、次々に神を生んでいく。その数は三十五神に上るといわれている。
 宇宙創造の太極の神である天御中主神の一代と、陰・陽の神である神御産巣日神、高御産巣日神の二代までの三神を造化三神といい、また我が民創造の神である伊弉冊尊、陽の伊弉諾の三代までを造化三代という。
 婚礼は人道一世の大礼であるので、この席の花には、松と竹をそれぞれ二瓶にして挿けるものである。竹の代々に久しく、香具山の昔を以って備え、松は千歳の永きを祝い、これに腹籠りの緑を入れて子孫長久相続の守とする。そして金銀紅白の水引七把で相生結びにして、注連の伝として陰陽の神である産巣日神を祭るのである。