3f 厄年の花
「厄年」とは、人の一生のなかで厄にあうおそれが多いとして忌み慎まねばならないとされている年である。現在では、男は数えで二十五歳・四十二歳・六十一歳、そして女は十九歳・三十三歳・三十七歳が「厄年」とされている。また特に男の四十二歳は死に結びつき、女の三十三歳は散々なもので大厄とされ、その前後の年も前厄・後厄として慎むべきときであるとされている。
未生流伝書では「人間も生まれてより六年が経ち、七歳で初厄を迎える。これより十三歳で二の厄、十九歳で三の厄、二十五歳で四の厄、三十一歳で五の厄、三十七歳で六の厄、四十三歳で七の厄を迎える。厄が一回りして七つ目の厄を迎えた四十三歳は大厄である。よって前年の四十二歳の時に、神仏を祭り厄難がないように祈るのである。四十九歳は八の厄、五十五歳は九の厄、六十一歳は十の厄となる。この十の厄を迎えて、十干・十二支の生まれた年の干支に戻るので全ての厄が終わることになる。これを本卦帰り・還暦という。このように一回りする厄年に神仏を祭って無難を祈るのは、自分自身の養いである。還暦より後には厄はなく寿の祝いがある。」と説かれている。
万物は七つ目にして陰陽が移り変わるもので、この七つ目の節目を未生の考えでは厄と捉え、そして何事においても慎むときであるとしている。葉蘭の葉組みで七枚目の葉を境として界葉を挿けるのは、陰陽の変わり目にあたるからである。そして、これら十の厄を迎えて、十干・十二支の生まれた年の干支に戻って、全ての厄が終わることになる。これを本卦帰り・還暦という。このように一回りする厄年に神仏を祭って無難を祈るのは、自分自身の養いであるといえる。
還暦より後には厄はなく寿の祝いがある。六十一歳は「華寿」を祝う。これは「華」の字を分解すれば、六つの十と一とで構成されることからこの名がある。七十歳は「古稀」を祝う。「人生七十古来稀」という杜甫の曲江詩より起こったものである。また七十歳は「杖の賀」といい、鳩のついた杖を送る慣わしなどもある。七十七歳は「喜寿」を祝う。「喜」の字の草体の文字が「七十七」と読まれるところからくるものである。また八十八歳は「米寿」を祝う。「米」の字を分解すれば「八十八」になることから、そう呼ばれている。九十九歳は「白寿」を祝う。これは百歳を前にして祝福するもので、「百」という字から一という字をとれば「白」という字となることからきている。
この「厄年」のときに挿ける花としては、白木蓮、かいどう、牡丹を三種で挿けたり、また糸杉、白玉椿、紅梅、葉牡丹、万年青を五種に挿けたりとする。「陰」のなかにも「陽」を感じ取れるような「陰中陽」の姿に、つまり禍転じて福となるようなこころでもって花を挿けるものである。とにかく、何事においても慎重に行うことが求められる。また還暦より後の「寿の祝い」のときには、「陽中陰」のこころでもって花を挿ければよい。
人生を大きく捉えると、還暦のときに陰陽が変化するが、また七つ目の年にも陰陽は変化する。そして更に細分化すると、一時ごと常に内において陰陽は変化しているのである。この内なる働きを知ることが大切であるといえる。