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  • 茶道表千家・煎茶道売茶流
  • 安土桃山時代、豊臣秀吉に仕え多くの茶会を催した茶人・景道。その想いを受け継ぎ茶の道と花の道をいまに伝えています。
  • 丹念に調えられた露地には亭主の清浄な心が託されています。それは、茶の湯の「一期一会」の心。いまこの瞬間を共にする尊さに気づき互いに誠意をつくすという思いの現れです。青竹の道具のように瑞々しい心でこの一会にのぞむのです。
  • 茶室の躙口の引き戸は指先が入るほどの隙間を開けておきます。客は言葉を交わさずとも亭主の思いやりにうなづき、茶室へと進みます。安心感に包まれながら市中にあっても山居のごとく空間で特別な時間を慈しむことができるのです。
  • 釜の煮え音だけが聞こえる静寂のなか頃合いを見計らって茶が出されます。茶席は心と心が出会う空間です。良き加減の心配りと自然なお手前によって、客と亭主の息づかいが調和し心と心が響き合うこと。それを何より大切にしているのです。
  • 家元 和田高甫
華道未生流

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家元 和田髙甫の祖先 景道(船越景直・~慶長16年/1611年 )は、豊臣秀吉の馬廻りとして仕え、多くの茶会を催した。景道の愛用した名物裂は、「船越間道」「船越金襴」として今日に伝えられている。「船越間道」は黄地・藍地に縞模様と、紺、金の横縞の浮織で織り分け部分に変化がつけられた裂である。白蛇の大蛇を弓矢で退治した船越定氏(~永正4年/1507年)の伝統を受け継ぎ弓の名手である。<br />
景道の子、船越永景(~寛文10年/1670年)は作事奉行を務め、日光の御殿の普請を奉行し、大猷院殿(徳川家光)御宝塔の造営を担当、四代将軍家綱の御道具奉行の地位を得た。また船越爲景(~元禄15年/1702年)は、家綱に高麗焼「明星」の茶碗を献じている。
 
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